県外から移住した
底びき網漁師・岡本さんの漁業人生

移住者が地元で漁師を始めることは大変なのでしょうか?
今回は、神奈川県から移住して、種子島での研修を経て東串良町の漁師として活躍している岡本さんの底びき網漁に同行して、お話を伺いました。

  1. 目次
  2. 漁業への道
  3. 運命的な船との出会いと底びき網漁のスタート
  4. 地元の魚の魅力を届けたい
  5. 若い漁業者にはチャンスがある

「2時間ほど網を引っ張ってみましょう。今は魚が少ないですが」

例年より約2℃高い海水温の影響で、12月になっても魚があまり獲れない日が続いています。しかし、タイやヒラメが沿岸の浅瀬に集まる冬場(12月~4月)は底びき網漁の繁忙期です。取材した日は「白アジ」と呼ばれる美味なマアジが獲れました。

「魚が多く獲れる日もあれば、網にゴミが大量にかかる日もあります。河口が近いため、街から海へ流れてきたゴミが網に入るのです。」
他県では底びき網漁を活用して海底清掃を行う事例もあるほど、底びき網漁は海底ゴミと向き合う仕事でもあります。

船をゆっくり走らせ、黙々と作業を続ける岡本さんの姿が印象的でした。彼は県外から移住し、現在も漁業に励んでいます。その人生について話を聞きました。

漁業への道

岡本さんは大学時代、水産学部で魚を研究していましたが、卒業後は農業の仕事に就きました。水産業とは無縁の生活を送っていましたが、農園が経営難に陥り、転機が訪れます。友人が見つけた鹿児島県の「ザ・漁師塾」という漁業後継者育成事業に応募し、もともと釣り好きだったこともあって種子島で研修を受けることにしました。
当時の話を聞いてみました。
「研修では座学だけでなく実地訓練も充実しており、受講後は長期研修制度を利用して、将来の独立を視野に種子島で一本釣りに挑戦しましたが、不漁が続き、自分には向いていないと感じました」
前職の農業経験を活かして「半農半漁ではどうか」と相談したところ、当時の指導者から「中途半端にやるなら、農業だけに集中したほうがいいよ」と助言を受け、悩みつつも漁業の世界に身を置きました。

その後、15万円ほどの収入で無理なく生活をしていた岡本さんに二度目の転機が訪れます。
「一人暮らしは可能でしたが、結婚して家族が増えると生活は厳しくなりました。ついには船を降りて普段は土木の仕事をしていましたが、ブリの稚魚を獲る「もじゃこ漁」の時期だけは親方に頼み込んで船に乗せてもらう、という生活をしていました。外洋で行われる勇壮なもじゃこ漁で経験させてもらったことが今でも自分の仕事のベースになっています。」

そして2006年、奥様の友人の紹介で「大隅で船を売りたいという人がいる」という話を聞き、船のほかに小型底びき網の漁具もそろっているということだったので、大隅半島への移住を決意。
こうして東串良町にて漁師としての生活が始まりました。

運命的な船との出会いと
底びき網漁のスタート

岡本さんは志布志で漁師を辞めた人から船を譲り受け、漁を始めました。
「50年前に作られた船と30年前のエンジンですが、海に出ることができたのは幸運でした。」
漁協と相談し、刺網漁からはじめて、ゆくゆくは底びき網漁を目指すことが良いとアドバイスを受けました。最初の1か月は先輩漁師に同行して学び、その後刺網漁師として一人立ちすることができました。
「ど素人ですが最初からそこそこ生活ができるくらい漁場に恵まれていました」
岡本さんは、幸先よく収入が安定しました。
そして3年後、念願の底びきの漁業許可を取得できました。

地元の魚の
魅力を届けたい

「志布志湾には美味しい魚が多く、地元で消費されないことがもったいなく感じられます。例えばハモ。夏が旬といわれますが、10~12月も味がよくなります。ところが京都の祇園祭に送る4月~7月にしか良い値段はつきません。東串良のまえだ家さんのように地元でハモを料理できる人がいれば買ってもらえますが、捌くのが難しく、取り扱いのハードルが高い。そもそも地魚を扱う飲食店さんが東串良でハモがあがることを知らない場合もあります。」
三枚おろしまで加工したフィレ製品など一次加工品が増えて便利になる反面、魚を一尾丸ごと取り扱うハードルが上がっているのかもしれません。
また、魚の知識を共有することは、その価値を発信する第一歩です。地元ならではの魚の魅力を地元をはじめ、観光客や県内外の人々にいかに伝えるかも課題の一つと感じました。

若い漁業者には
チャンスがある

地元の東串良漁協の中では40代の私は若い方ですが、現在ではすでに漁業の新規参入者という感じではなく、ベテランです。

東串良ではかつて7艘の底びき網船がありましたが、現在では東串良漁協では2艘のみ。
後継者不足で漁師が減っていますが、若い漁業者にはチャンスでもあります。日本では水産物の需要が減っているとはいえ、一人当たりの水産物の年間消費量は世界3位です。 魚の供給源がなくなると、飲食店や未来の子どもたちにおいしい地元の魚を届けることができなくなります。供給者が少なくなる中、必要とされることは間違いありません。

「県外から移住してきた私でも漁師になることができました。私が選んだ底びき網漁のように、船が手に入れば一人でも操業できる漁法もあります。私の場合、魚が獲れることが楽しくて、楽しくて。底びき網漁には一度始めると興奮してやめられないような性質があり、ゲームのような魅力がありました。最初は仕事にべったりでしたが、要領をつかんでいくにつれ漁獲量が上がり、生活にもリズムが出てきました。資源管理のために底びき網漁の出漁日数制限が設けられた際は、空いた日に刺網漁を行うなど、水揚げの最大化を目指して努力しました。結果、安定した水揚げを実現できています。」
供給者が減少する状況の中、岡本さんのように、県外から移住した方が地元漁師として活躍できるチャンスはこれから増えていくでしょう。
漁師という仕事に興味のある方は、暖かく美しい大隅半島の海で挑戦してみませんか?